割り切れない

からしたら、理不尽が許されるは普通ではない。

最低限してもらっているのだから、まだマシだとかそんなふうに割り切ることが出来ない。

それは僕の精神がまだ子供だからなのだろうか

 

でも、僕は大人になっても理不尽を許すことを普通だと思って生きたくない。

 

割り切ることが出来なくて、沢山自分の中に溜まっていって自分では処理しきれなくなって、相談しているのに、「まだましだよ、割り切りなさい。」と言われてもどうしようもないのだ。

時の流れが何とかしてくれるのを待つしかない。

ただ、時の流れが理不尽を普通にしてしまうのならば、流れて欲しくないとも思う。

今感じてることを忘れたくないが、この処理しきれないやるせなさからは開放されたい。

矛盾している。

 

僕が今生きているこの狭い世界だけでも、こんなにたくさんの理不尽が転がっていて、僕はそれを拾い上げてしまって、辛くなる。

僕はまだ世の中を語るには世の中知らなさすぎるとは思うが、世の中にはもっとたくさんの理不尽や矛盾が転がっていて、理解できないことも多いのだろう。

想像しただけで頭が痛くなる。

 

時が流れていくのは、救われる未来への希望も恐怖も不安も色んなものを感じさせる。

人によって、その瞬間によって、感じるものは変わってくるだろう。

僕は僕の大切な人もそうだし、まだ見知らぬ誰かでもいい。誰かとその感じたものを共有して、または聞いて、寄り添ってもらったり、寄り添ったりできる人間になりたいと思った。

 

僕の感じるこの割り切れないやるせなさを周りと比べられるのではなくて、ただ寄り添ってくれる誰かと出会える日が来ることを時の流れに願って楽しみにしています。