もう遅い

僕の知人が保育士をしていて、その人は僕同様理不尽をきちんと理不尽として見過ごせない人です。そんな彼女の身に最近起こった話をここに書こうと思います。

彼女受け持つクラスやその他保育士もコロナというものが流行っていて、彼女は自分のクラスに余裕がある時には、他のクラスのヘルプに入ったりしています。

そんな中彼女の入ったクラスの保育士が冬場で雑巾など掃除をすることが面倒だと言い、食事時に机を規定の数出さなかったので、「この子たちがコロナやインフルエンザにかかったりしたら、責任が取れないから、机はめんどくさくてもきちんと出すべきだ」と注意しました。すると、その保育士は「でも、実際問題コロナ出てないんで、大丈夫ですよ〜。だって、保護者も見てないじゃないですか〜」と返したそうだ。これこそ、今ニュースでよく取り上げられている、保育士の児童虐待をした人たちと全く同じ言い分だ。僕もその知人もこの言葉には、さすがに引いてしまいました。「でも、だって、」と責任を逃れる人の言い訳らしい言い訳で気分の良くない言葉です。知人は関わりたくないと思ってしまって、それ以上声をかけなかったそうだが、人間は問題が起こらないと、そのおかしさに気づけないものだなとつくづく思った。この言葉を放った人は、自分の行動で被害を受けた人からの苦情を受けて、謝って回ったりする側のことなど考えたことがないのだろうなと思った。自分で同じ言葉を保護者に言ってその保護者からの言葉を受け取ればいいのに…と思った。僕は、そんな人が保育士をしていていいものかとも思ったのだが、近年の保育士不足によって園側も辞めさせるわけにはいかないそうだ。社会とは、そうゆうものなのかと悲しくなったが、こんなことを悲しんでいては生きていけないんだろうなとも思う。

この保育士の話もそうだが、僕自身も何かが起こらないと、何も気付けないもので、それこそ避難訓練などほんとに起こってからじゃないと、長々とした話もじっくり聞けないし、身が入らないものだなと実感する。最近で言うと、某有名アイドルが脱退したからこそ、その社長に目が行ったり、その他のグループも同じようになりませんようにと願ったりしたわけで、つくづく自分は何も知らないし見えてないんだなと思う。