自分を変える
「人を変えようとしても他人は他人なんだから変わらない。状況を変えたいなら、自分が変わるしかない」って子供の頃からお母さんに言われてきた。これを言われていた時は、この言葉の意味なんてよく分かっていなかった。
僕は中学生になるまで周りの人より勉強や運動が出来てしまった。だから、周りを支配出来る気になってしまったのだろうか、行事などのリーダーをよくやっていて思い通りに人を動かそうとしていた。でも、ほとんどの人が自分の考えと違う行動を取り、頭の中に思い描いていた効率の良い計画とは全く違う結果になった。
なぜみんな言った通りに動かないのか不思議だった。家でこの話をした時、母には「人は変わらない。状況を変えたいなら、自分が変わるしかない。」と言われた。
そして、相手がちゃんと動いてくれないなら、伝え方を変えてみたり、上手くいかなくても楽しめるようになろうとしたりした。世界が変わったような気がした。今までの自分の身勝手さに気づいて後悔し、どんな結果も経験として面白く感じ、自分は頑張ったという結果を愛せるようになった。
些細なことでいい。少し自分を変えたら、周りも感じ方も全て変わる。また、未来の自分が行き詰まった時、思い出して、変わってくれたら良いなと思う。
親愛なる僕へ
最近、
「親愛なる僕へ殺意を込めて」や、
「silent」、「束の間の一花」など
色々なドラマを見るようになって、
小さい頃はまだスマホを持たせてもらっていなかったから、テレビがついていたら、
なんでも見ていたなぁと思い出しました。
それぐらいの頃は、ただ見ているだけで、
考察的なこととかは、考えたことがなかったのですが、
最近では服の色とか登場人物がふと呟いた一言とかに目を向けて考えてみたりして新しい楽しみ方が出来て面白いです。
先程、上で挙げたようなドラマを見ていて
すごく思ったのが、「誰も悪くない」とか「圧倒的にこの人が悪い」とかじゃなくて、
一人一人が考えてることがあって誰かを傷つけてしまったり、後悔のある行動をしたり、間違いを犯してしまったりしていて人間味があって見ていて臨場感のようなドキドキを感じました。最近読んでいた小説や漫画などでは完璧すぎる人間味のない人が現れたりすることがあったので、すごく新鮮な感覚でした。
僕はよく僕の周りもドラマとか小説みたいに
簡易な人間関係、相関図がサラサラと書けてしまうような人間関係だったら良かったのになと思っていましたが、自分よりも複雑な人間関係が物語で描かれていて、こんなことありえるんだと少し安心したような気がします。
僕はよく未来のことを考え、
理想とともにとてつもない不安を感じます。
それでも、ドラマの中には劣悪な環境の中でも生きている人がいて、もがいている姿が描かれていて、ドラマの中だと分かっていても、
この人たちは生きているし、生きてきたんだと思うと、自分の不安や悩みがしょうもないことに思えて、楽になれました。
未来の僕もまた今の僕と同じように何かに助けられながら、何気ない日々を過ごしてくれているといいなぁと思います。
ある日の帰り道
暗くて、寒い。
その中に、
人と共に灯りがある。
人が灯りを運んでいる。
車の騒音と、時々錆びた鉄が擦れる音がする。
ここに人が来なければ、
この中途半端な田舎と僕も
生まれることは無かったのだろう。
暗くて寒いだけだったのだろう。
ところで、灯りはなぜ希望のような何かを感じさせるのだろうか。
これに、答えはないような気もする。
こうして何気ない何かに疑問を感じて
答えを模索していけるこの状況に
感謝しながら、
自分が何気ない日常の中で生きることが
できていることをひたひたと感じた。